2023年12月31日除夜の鐘のご案内
山梨県笛吹市一宮町 長寿院
参加者にはもれなく干支の御守りをプレゼントします。
私立山梨寒山学校の沿革
令和3年(2021)年長寿院境内に新たに私立山梨寒山学校の沿革説明板を設置致しました。
現在境内には、学校創立者の前田定運先生の謝恩碑と、和訳説明板があります。寒山学校は後世まで伝えたい峡東地域の教育の歴史であり、この度、台座を白御影石、説明板はステンレスエッチング工法として造りました。寒山学校卒業生、ご家族、関係者の方々に是非ご覧頂きたいと思います。
私立寒山学校
寒山学校は、長寿院を教場として明治二十九年(一八九六)九月十五日、住職前(まえ)田(だ)定運(ていうん)氏が塾を開設したのに始まる。
その後、明治三十九年(一九〇六)三月二十九日付けをもって文部省より私立学校の認可を受け、定運の号をとって私立山梨寒山学校とした。
創立者の前田定運氏の言葉に、
「青年処女の感化教育をして、社会を善導(ぜんどう)するは余の使命なり」
「余が平生宿志(しゅくし)のある所は素より宗教家にして営利を欲せず真理を楽しみ草(そう)茅(ぼう)に坐(ざ)して国を思ふ心のみ」
「余が教育に貢献する精神は、過去三十年来継続して今に至り、前後寸分(すんぶん)の異同(いどう)を覚えざるなり」
「如何なる難題の途(みち)に当たっても之を断行すべし。それは如何なる職業についても成功に至る」
「余謂ふに精神一統何事か成らざらん」
本校生徒は、高等小学校二年卒業程度の学力を有する者を対象として、広く子弟を集め、地域的にも、一宮を始め御坂、石和、八代、春日居、山梨、勝沼などからの通学者もあった。
教育課程、現在の義務教育程度を中心に中学科は修身、国語、漢文、数学(洋算・球算)、理科、英語、習字、農学で実習も多く指導教示した。
明治四十年(一九〇七)四月有志の寄付を以て二階建て間口六間、奥行三間の新校舎を建設し、同年六月新たに地理、歴史の二科を加え漸次教育課程の充実を図った。さらに七月には、本科三ヶ年の課程を一、二学年をもって本科とし、三学年を専攻科と改め英、漢、数の三学を教授する変更許可を受けた。
当時、県内は中等教育の学校は少なく就学は困難な時代であったが、峡東地域は恵まれており、特に農閑期を利用して教育したので通学者も増加した。
大正二年(一九一三)浄土宗総本山知恩院第七十九世門(もん)主(す)・山下(やました)現有猊下(げんゆうげいか)並びに、卒業生、地方有志の寄付により第二校舎、間口四間半、奥行き三間の平屋を増築した。大正八年(一九一九)五月従来の学科のほかに理科の学科を加えた。また、同年寒山学校の女学校として至誠(しせい)實科(じっか)女学校(じょがっこう)を創設した。
爾来寒山学校の卒業生は千二百有余名、県吏員、鉄道、小中学校長、地方自治名誉職、青年団幹部等に奉仕するもの百名の多きに達した。
校長は創立者の前田定運氏(東京哲学館大学現東洋大学)に次いで、原(はら)清次郎(せいじろう)氏が就任し、後永井(ながい)舜誠(しゅんじょう)氏に引き継がれたが、太平洋戦争も次第に厳しさをました昭和十八年(一九四三)三月、国の教育行政方針もあり廃校となる。校舎は青年訓練所として使用することとなった。なお、寒山学校があった跡地は現在中央自動車道となっている。
この寒山学校設立につき最も貢献したのは、旧一宮村長の深山元四郎(ふかやまもとしろう)氏である。
境内「寒山先生の碑」高さ二・九メートル、幅一・三メートルは、昭和十二年(一九三七)有志、卒業生及び在校生が建て、右側の和文説明は、平成三年(一九九一)に卒業生深山(ふかやま)友(とも)雄(お)氏(昭和九年卒)が寄贈したものである。
寒山学校校長
長寿院第二十四世 前田定運 明治二十九年~昭和二年(一八九六~一九二七)
原清次郎 昭和二年~昭和九年 (一九二七~一九三四)
長寿院第二十六世 永井舜誠 昭和九年~昭和十八年 (一九三四~一九四三)
ここに寒山学校の概略を記して、寒山建学の精神を後世に伝える。
令和三年十月 宗 前 山 長 寿 院
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名称:宗前山・智光寺・長寿院
宗旨:浄土宗
開山:覚譽吟山和尚
住所:山梨県笛吹市一宮町国分806-2
TEL:0553-47-1629
住職:永井誠覚
MAIL:MAIL
2018年8月メールアドレスが変わりました。
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コロナ禍が続く中、3月17日には彼岸の入りを迎えます。23日までの 期間がお彼岸になります。各家の彼岸回向法要は事前に済ましておきます。 ◆ 日時 令和3年3月20日 ◆ 午後2時~参拝焼香~墓参 本堂には入らず、仏前焼 …